が、急遽ザ・タイガースのライブに行ける事になりました!
12月27日、東京ドームです。
今朝の新聞一面でタイガースの記事が!4面でも大きく関連記事。
今までの経緯を読むと、うるうるしてしまいました。そして、
いっぺんにタイガースへ気持ちがぐっと入ってしまいました(笑)。
思い起こせば、1966年あたりからスパイダーズのファンになり、67年にはウエスタンカーニバルを観に行き、グループサウンドにはまっていったのです。この梅田コマ劇場のウエスタンカーニバルは、ほんとうに貴重な思い出です。
まだタイガースはデビューしたてだったので、メンバーの名前と顔が一致しない私でした。
それでも、演奏曲「シーサイド・バウンド」がヒットしかけたところだったので、みんな可愛いしカッコいいと、声援をおくりました。
パンフの最後のほうで紹介されていました。 |
トップのスパイダーズ |
2番目のブルーコメッツ |
当時のパンフをまた引っ張り出してくると、タイガースの扱いは小さかったですね。
おまけに沢田研二と岸部修三の名前が反対になってるし、、、。
私が当時、知ってるだけのニックネームを書いて訂正していた模様です。
出番は最初でもパンフでの紹介は最後のページ。
スパイダーズがトップで、次がブルコメ。
オリジナルで曲目も知ってるのは、僕のマリーと先ほどあげたシーサイドバウンドのみ。
当時から、ローリング・ストーンズが好きだったのですね。
私の目的としては、スパイダーズだったので、とても満足だったのは、言うまでもありません。
そんなタイガースが後になって華々しくスターダムにのし上がっていくなんて、当時は想像できないことでした。とにかくスパイダーズとブルーコメッツが人気を二分するような状況でした。
やがてGSは、だんだん歌謡曲化していくのと、露出が多すぎて、後になってだんだん気持ちもトーンダウンしていったのです。
今考えると、ビートルズに熱狂しながら日本の女の子は、身近なグループを追っかけるのが自然だったように思います。
といっても、ビートルズファンじゃない子が圧倒的に多かったようにも思います。
ここだけの話ですが、私はビートルズファンだということを、常に自負していたので、ちょっと高慢なファンだったのも確かです。
私個人としては「46年ぶりのタイガース」それぞれの人生を背負って生きたきた5人を観るにあたって、書いてみたくなりました。